グーグルに勝つ広告モデル マスメディアは必要か (岡本一郎)

グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書)

グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書)

ネット広告の市場規模が4000億弱まで膨らんだ現在の広告業界を、いくつかの視点に基づいて奇麗にロジカル整理している良書。
その視点とは、たとえば以下のような視点である。
1.アテンションの仕入/卸売という概念
2.可メディア消費時間<現存コンテンツ量
3.マス/ターゲット、情緒性/論理性の4象限
4.提供情報、情報消費シチュエーション、アクセススタイル
このあたりのフレームワークを使いながら、現在の広告業界を整理した上で、4マスメディアそれぞれの生き残り戦略を提示していく。上記のフレームワークが非常によくできている(軸の切り方が上手い)ので、現状をいくつかの視点で整理するという意味では有意義である。さらに文体も、硬すぎ柔らかすぎずの読んでいて面白い文体であり、通勤電車の中で読むには最適ではないだろうか。
また、いわゆるネット広告最高!マスメディアおわた的な著書は、ネット側の視点から書かれたものが多い。しかし本書はあくまでも、マス側からの視点で書かれている点が非常に興味深い。マスに対してのコンサルによる戦略提示というスタイルだからこそ、鮮やかな現状分析ができているのだろう。これが、ネット側からの著書であればイケイケドンドンで終わりだし、マス側からであれば「ネットはゴミ・俺が神」とか「ネット強すぎ、マスもうダメぽ」で終わってしまっただろう。追い詰めらつつあるマス側に対して、第3者の引いた視点で戦略提示するという絶妙のポジションだからこそ本書があると思われる。
個人的に読んでいて、「ガツン」ときた指摘は以下ふたつ。
ひとつは、「ラジオを聴く若者が80年代半ば以降減ってきているにも関わらず、経営上のインパクトとして出てきたのは最近」というくだりである。PCを使わず、携帯ですべてを済ませる若者が多いわけだが、、PCWebは大丈夫だろうか。ひょっとすると、10年後にPCWebも構造問題を抱える恐れがあるのではないだろうか。
もう一つは、現在のビジネスは「マーケットインではなく、プロダクトアウトではなく、メディアアウト」であるという指摘だ。これには、唸るものがあった。たしかにサービスや商品を流通させていく際には、無意識にマスメディアを念頭に置いており、それが故に商品もマスプロダクトになってしまう。メディアがターゲットされていればエッジの効いた商品が生まれる可能性もあるのかもしれない。この部分についてはこっちのブログで少し考えてみた。

一方、不満な点は、上記フレームワークの1個1個はロジックがしっかり組まれていて堅固なのだが、各フレームワーク有機的に繋がっていない感触を受けるのである。1〜5それぞれは独立して成立しているが、各フレームワークについて1歩吟味し、さらに繋げてみると、なんだか全体としてはハッキリしない感じになるという気がする。

書評から離れてしまうが、、なんというか、各章は良くできているが、全体としてはぼやけてしまう、、というのはパワポ依存のコンサルの職業病のような気がするがどうだろうか。まずパワポ全体のストーリーを考え、それを各章にブレイクして目次を決める。そして各章(パワポ)を書いていく、各資料にはそれを裏付ける数値を膨大に盛り込む。ただ、各章を仕上げていく過程で、思考の深さが全体のストーリーを構成したときよりも深いところにいってしまうのだ。各章のクオリティが全体のストーリーのクオリティを超えてしまうのである。その結果、各章をばらばらに読むと高い精度でロジックが引かれているが、全体としては意味が少しぼやけてしまうという感じではないだろうか。全体として奇麗なピラミッド(考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則)になっていなくて、それぞれが突き抜けてしまっており、結果として形がとても歪になっているというか。そんな印象を受けた。



マーケティングの側面から考えてみると、一般的に市場の立ち上がりの時期は、理性的・説得的な情報、つまり数値や物理的な特性をしっかりと訴求することがマーケティング上の課題になってきます。他社との商品の違いを、数値や文字で伝達することが求められるわけです。
これが成長期をへて成熟期になってくると、商品の特性上の違いはあまりなくなってきます。そこでは物理的な性能や数値よりも「情緒的な価値」が重要になってきます。つまり産業が成長し成熟化していく過程で、コミュニケーションのニーズはマップの下から上へ移動していく、ということです。【p.37】

今現在、多くのマーケッターの方が、商品の差別化に苦しんでいます。機能面での大きな差異が打ち出しにくく、価格も収斂しているので、情緒的・感覚的な側面で差別化をしないといけない。
しかし一方で、情緒的・感覚的な情報を伝達できるメディアは、ターゲッティングが基本的にできないテレビメディアでしかない。
多くのマーケッターの方はこのジレンマを封じ込めるために、最大公約数的な商品企画を行ってマス媒体で売る、という方法論に陥ってそこから抜け出せなくなっているわけです。
その結果が、シャープなコンセプトを持たない横並び商品と、意味の変容をもたらさない陳腐な広告の大量発生です。【p.45】

非常に恐ろしいのは、子供部屋におけるアテンションのシェアが奪われているということが、経営上インパクトの大きい数値としてすぐには出てこなかった、ということでしょう。変化が表面化したときには、すでに致命的な構造的問題になっていた、というのがこの問題の難しさです。【p.96】

情報は断片的に生み出されて編集され、プラットフォームに乗せる形に変換されて流通し、最後に貨幣と交換されるという、「知のバリューチェーン」ともいうべき経済システムの中で生み出されています。
ウィキペディアは、グーテンベルクからグーグルが登場するまでの「旧世界」がずっと発展させてきたこの「知のバリューチェーン」から、無料で情報という栄養をもらってコンテンツを拡充するという寄生虫のような構造で肥大化しています。
ここで問題になるのは、ウィキペディアがフリーであるがゆえに、強大な普及力を有しているという点です。そのため「知のバリューチェーン」を循環する経済価値が減少し、ウィキペディアが循環的に依存していた「信用できる」情報源が、事業運営上の深刻な困難を迎える可能性があるのです。【p.155】

旧世界の戦略論では、一度失敗したビジネスに関してはその原因を分析して同じ轍を踏まないようにする、というのが対応策でした。しかし、ムーアの法則(半導体の集積度が18か月で倍になるという経験則)が成立する現在では、事業の成否を分ける要素として、タイミングの重要性が高まってきます。
つまり、失敗の理由は「早すぎた」か「遅すぎた」かのどちらかで、早すぎた場合は次にいつ出すか、が問題になる、ということです。【p.170】

アッシュの実験結果で非常に興味深いのは、消費者の態度変容は情報のシェアに対してリニアに反応するのではなく、図17が示すように、ある閾値を超えたところで急激に転換を起こすという点です。【p.183】

ところが、昨今の日本におけるビジネスプランニングのプロセスをよく見てみると、実際のマーケティングはそのどちらでもなく、プロダクトとマーケットの間をつかさどるメディアや流通の枠組みに規定されてしまっています。いわば「メディアアウト」というパラダイムに縛られてしまっているのです。【p.189】