悲望 (小谷野敦)

悲望

悲望


恋愛やジェンダーといった内容よりも、名声と権威を求めつつも夢が破れた男の悲哀みたいなのを強く感じた。ただこれは、著者のブログなどを読んでるから持つ印象かもしれない。作品そのものだけを見るのが正しい読書なのか、それとも作家の背景を踏まえて読むのが正しい読書なのかは知らないが。


権威や人脈を否定し、あくまで問題だけを見ながら言いたいこと言い放題言った結果として、学会から弾き出された著者の恨みというか、後悔というか、そういったものを随所から感じた。
既成の名声や権威を批判し、その一方で批判している対象である名声や権威を求めるというのは若者の性なのだと思う。今、権勢の座にある人物も、既成概念に対して反抗的な青春時代を等しく持っていたはずであり、出世の階段を上るのに十分な程度の頭脳は持っているのである。要する、血気盛んに権威を批判している若者となんら変わりないのである。
ただ、社会で老いていくなかで、一定の処世術を身に着け、気づけば、若かりし頃に自分が批判したはずの老害となっている。世の中というか人生というのは、そういうものなんだろうと思う。そしてそれは健全なことなのだろう。青春の魂を持ち続けながら、安易に迎合せずに戦い続けたままで、歳を重ねるというのは、ある種不健全な老い方なんだと思う。
エッジの効いた思想家が、処世術を身に着け、良くわからない老害となりながら、少しづつ、一歩一歩社会は変わっていく。ラディカルな思想を持ち続けたまま、急激に変化させるようなものは、それは革命であって、平和で持続的な社会というものにはそぐわないのだ。