峠 (上巻) (司馬遼太郎)

峠(上) (新潮文庫)

峠(上) (新潮文庫)

峠、上中下巻の中で私が最も好きな巻。主人公である河合継之助の内面に触れてある。武士道的な美学というのは、現代っ子の私でも憧れ部分があるため、継之助のカッコヨサにしびれる。また、やるリスクよりやらないリスクの方が高いWeb業界に身を置く私としては、実践を重視する陽明学徒の苛烈な生き方・考え方にはただただ感服。

人間の世の中の仕掛けというのものに興味をもっている。剥いてしまえばただの人間にすぎぬものを、それに権威を持たせようとするばあい、どのような仕掛けが必要か、ということである。【p.90】

人間など、人間そのものはたかが知れている。【p.251】

人間は、互いに肥料であるにすぎぬ。肥料に惚れてしまってはどうにもならぬ。【p.251】

権威とはおそろしいということも将来わかるだろう。大人になり、食い気が衰えたときに、舌で味わえるようになる。味の微妙さがわかってくる。世の中は万事、味の分かった大人と、食い気だけの若衆の戦いだ【p.265】

この種の厭世趣味は平安朝の貴族たちのいわば美的生活の塩味のようなものであり、それほどめくじらを立てて考えこむほどのものではない。【p.361】

藩組織の片すみでこつこつと飽きもせずに小さな事務をとってゆく、そういう小器量の男にうまれついた者は幸福であるという。自分の一生に疑いももたず、冒険もせず、危険の淵に近づきもせず、ただ分をまもり、妻子を愛し、それなりで生涯をすごす。「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝」【p.445】

物事をおこなう場合、十人のうち十人ともそれがいいという答えが出たら、断乎そうすべきです。ちなみに、どの物事でもそこに常に無数の夾雑物がある。失敗者というものはみなその夾雑物を過大に見、夾雑物に手をとられ足をとられ、心まで奪われてついになすべきことをせず、脇道に逸れ、みすみす失格の淵に落ちてしまう。【p.487】

越中守さまにすれば御親族のご対面のみでお説きあそばしております。しかしわれらにとっては主君の生死の問題でございます【p.504】