ウィキノミクス(ドン・タブスコット、アンソニー・D・ウィリアムズ)

ウィキノミクス

ウィキノミクス

随分と前に流行した本だがやっと手にとった。だがしかし、、274ページ目まで読んだところで余りに退屈で挫折した。。Web業界に居ない人々にとっては新鮮な考え方なのだろうが、Web屋で働く私にとっては目新しい考え方は見当たらない。
唯一良いのは、Wiki的考え方での成果事例が豊富に書いてあることだ。本書で言うところの、「マスコラボレーションによる開発生産」の成果事例集としては良書である。特にそれらの成功事例がWeb企業ではなく従来型企業で実現された事例が多くあり、泡沫のWeb企業の饗宴ではなく、本丸の大企業群にとっても無視できない流れであることが示されている。
しかしながら、個人的には本書を読むのであれば、「経営の未来」を読むことをお勧めしたい。「経営の未来」は断片的な事例の収集にとどまらず、ここの事象をマネジメントという横串で貫いている分読み応えがあり、学びがあると思う。この著書のラストは、本書の続きをWeb上のWikiを通じて皆で編集していこう!ということになっている。しかしながら、Wikiの方はどうも盛り上がっているように見えない。。とりあえず、ブログRSSフィードを取ることにしたが、FastLadderでの購読者も微々たるものだった。FastLadder自体がマイナーというのもあるだろうが。。


従来、人々の大半は、大量生産された製品を消費するだけ、硬直的な組織で上司に言われたことをするだけなど、経済において限られた役割しか果たせなかった。選挙で選ばれた議員でさえ、ボトムアップの意思決定にいい顔をしないものである。一言で言えば、ほとんどの人は循環する知識、権力、資本の輪から外れており、経済世界の片隅にやっと引っかかったような参加しかできなかったのだ。p.19】

世界的な競争力をもつためには、事業環境を国際的に観察するとともに世界中の才能を活用する必要がある。新しい市場やアイデア、技術を手にするためには、グローバルな連携、人材市場、ピアプロダクション・コミュニティを利用する。人材も知的財産も、文化や専門、組織といった境界をまたぐ形で管理する必要がある。市場を知り、技術を知り、人を知って世界を把握した企業が勝利するのだ。それらを把握できなかった企業は大きなハンディキャップを背負うことになり、現在の基準では理解できない新しい事業環境で戦うことさえできない。【p.47】

委譲の四本柱(オープン性、ピアリング、共有、グローバルな行動)は、次第に、二十一世紀の企業が競争するやり方として広がりつつある。これは、前世紀を席巻した多国籍企業、階層的で閉鎖的、秘密主義で島国根性に満ちた多国籍企業とは相容れないものである。【p.50】

いまはまだ経済的・組織的な変化が始まったばかりだが、既存勢力に時間的猶予はないと考えるべきだ。硬直的な「計画・実行」方の考え方は急速に古くなり、ダイナミックな「参加・協創」型経済が台頭しつつある。【p.51】

今のウェブは、アーキテクチャーもアプリケーションも根本的に変化した。デジタル新聞ではなく共有キャンパスであり、だれかが描いたものを次の人が書き換えたり改善したりしていくと考えればいい。何かを創る場合でも他人と何かを共有する場合でも、あるいは友人をつくる場合でも、新しいウェブは基本的に参加型であり、受身で情報をもらうものではない。【p.62】

なお、自信にあふれた世代ではあるが、将来に対する不安ももっている。ただし、不安の源は自分の能力ではなく、自分たちの前に広がる大人の世界であり、自分たちのチャンスがそこにないかもしれないという思いである。
研究では、この世代は、プライバシーに対する権利や、自分の意見を有しそれを表明する権利など、個人的な権利を重視する傾向が強いという結果も得られた。そのため思春期以降、国家や両親による検閲に反発することが多い。また、公平に扱われることを望み、「自分が生みだす価値は自分も分け前にあずかるべき」といった気風ももつ。【p.77】

ネット世代の労働観はイノベーションを内包している。新しいものを求める。新しいアイデアを受け入れる。人生のあらゆる側面において多様性を信じる傾向が強い。自由を求める気持ちが強く、いままで人が踏み込まなかった領域まで進む。さまざまなデータから、ネット世代は、各自が権限をもってコラボレーションする職場環境、仕事と私生活のバランスがとれ、特に楽しさを重視する職場環境を強く求めると思われる。楽しさ重視の姿勢は、職場にエンターテイメント的な価値をもたらしてくれるだろう。また、真正性重視の姿勢は、不純な目的で「社内用語の使用」を押し付けてくる上の世代への抵抗をもたらすが、同時に、ネット世代の新しい要求に対応できた企業には競争力と革新に関する膨大な資源をもたらす。逆に対応できなかった企業は脇に押しやられ、労働力の更新もできずにネット世代がほかへ流れるのを指をくわえて見送ることになる。【p.88】

ヘンリー・フォードやアルフレッド・P・スローン・ジュニアが巨大企業を同じような形で動かしているのに、ひとつの巨大企業のようにソビエト連邦を運営したスターリンは間違っていたなどと、どうして言えるのか分からなかったのだ。需要と供給のマッチングを図り、価格を決定し、有限の資源から最大の効用を得る機構として理論的に最も優れているのは市場だ。そうであるなら、万人単位で集まって企業を構成するより、個人一人ひとりが販売者となり購入者となるほうがいいはずなのに、そうしないのはなぜなのか・・・。
コースは、一見、矛盾しているように見える垂直統合の企業構造にも、実は理由があると考えた。大きな理由として、情報のコストがある。パンを焼く、車を組み立てる、病院の救急室(ER)を運営する・・・いずれも、役立つ結果を得るためには、さまざまなステップで緊密な協力と共通の目的意識が必要となる。製造をはじめとする事業プロセスを細かい取引に分解し、それぞれについて個別交渉を行うという形を毎日行うことは非現実的なのだ。競争原理によるメリットは得られるかもしれないが、取引ごとに発生するコストの総額のほうが大きくなってしまう。
まず、探すコストがかかる。サプライヤーを探し、その商品が適切であるかどうかを判断するコストだ。次に、価格や契約条件の交渉といった契約コストがかかる。さらに、さまざまな製品とプロセスを上手に組み合わせるための調整コストがかかる。これらのコストをコースは「取引費用」と呼んだ。こうしていろいろ考えると、できるだけ多くの機能を社内で実現したほうがいいという結論に大半の企業は達したのだ。
ここから、我々が「コースの定理」と呼ぶものが導かれる。企業は、基本的に、新しい取引を社内で行うコストがオープンな市場で行うコストと等しくなるまで規模を拡大していく。社内の方が安上がりなら社内でやれ、市場で調達したほうが安上がりなら社内でやろうとするな、というわけだ。
インターネットの登場によってコースの定理にどのような影響があっただろうか。定理の正当性はまったく揺らいでいない。それどころか、インターネットの登場で取引費用が急低下した結果、コースの定理の有用性はむしろ高まったと言える。ただし、定理の読み方は逆向き。つまり、社内で取引を行うコストが社外コストを超えないレベルまで、企業は規模を縮小すべきなのだ。取引費用はいまも存在するが、市場よりも社内のほうが重荷になることが増えたというわけだ。【p.90】

ピアリングが機能するためには三つの条件が成立しなければならない。
一.生産物が情報や文化であること。これは、貢献者の参加コストを抑えるために必要な条件である。
二.全体を小さな部分に分割し、百科事典の項目やソフトウェアのコンポーネントなどのように、個人が少しずつ、他の部分とは独立に貢献できる形でなければならない。これは、一定のリターンを得るために投下する時間やエネルギーを最小に抑えるために必要な条件である。
三.こうして得られた部品を組み上げて最終成果物にするコスト(リーダーシップや品質管理を含む)が小さくなければならない。
【p.112】

ノウハウと知的財産の市場が発達したとき、競争力は、知的資産を生み出し、移転し、組み立て、統合し、活用するという総合力の勝負になる。すぐれた技術をもつだけでは競争にならない。ほとんどの技術は、少しの時間と努力でどうにかなるからだ。【p.188】

技術者は、スラッシュドットとディグ、どちらのモデルがすぐれているかと、よく議論する。スラッシュドットは記事の質が高く、技術的に高度な議論が行われることで有名である。一方、ディグは、速報性にすぐれることと記事の量が多い(一日、数千もの記事が投稿される)ことで知られる。【p.232】

新しいウェブは、科学の世界を次のような特徴をもつ、コラボレーションによるオープンな活動にしようとしている。
・ベストプラクティス(成功事例)の技術と標準がすばやく普及する。
・技術のハイブリッドや組み換えを促進する。
・研究に必要な専門知識とパワフルなツールが「ジャスト・イン・タイム」で手に入る。・産学ネットワークの動きが速く、公共知が私企業にすばやくフィードバックされる。
・科学的な知識やツール、ネットワークのオープン性が高まるなど、研究と革新のモデルにおいて水平性・分散性が高まる。【p.250】

なぜ、競争に勝てば確実に利益を手にできるのに、コラボレーションをするのだろうか。価値のある情報をパブリックドメインにおくのだろうか。コンソーシアムにだけ公開すればいいのではないのか。メルクの遺伝子インデックスの場合と同じように、価値はあるが自社のコアではない情報を公開することには、妨害としての価値があるのだ。【p.268】