徹底抗戦(堀江貴文)

徹底抗戦

徹底抗戦

ライブドア事件に関してはWebの記事も沢山読んだし、この徹底抗戦で出てくるようないわゆるライブドア事件本も沢山読んだ。なので、事件スキームや立ち位置を含めて新規性があったかというとNOである。読まなくてもほとんど全部知っていたし「想定の範囲内」ってやつだった。
だからこそ、堀江さんの物事の要点を一言で表すような才能が際立っていた。同じことも堀江さんの言葉になると、これほど明快・単純になるのかという感じである。他書を読んだ上でこれも読めば、堀江貴文という人の天才というか独創性というか、そういうものが少しわかる気がした。

実を言うと、テレビ放送にライブドアのURLを貼り付けるのが、私がしたかった唯一のこと。なのに、そのことを伝えると「え?そんなこと?」という風に完全に相手にされなかった。「あいつは裏の野望を隠している」みたいな穿った見方をされた。ネット業界の人もその本質をわかっている人は少なかった。(p.26)

あの時代のあの時点で、ネットの限界値をここまで冷徹に見切っていたとは。

落ち着いて立件容疑の内容を見てみたら(検察の言い分を仮に認めるなら)、単に財務諸表のBS(バランスシート・貸借対照表)に載せるべき数値がPL(損益計算書)に載っていただけのことである。(p.62)

これは堀江さんの言い分として最もだし、おそらく法的にもPLにのっけてもグレーの範囲だったんだろう。ただ、PLに乗っけるという判断根拠というか、BSにもPLに乗っけれる類のものを、PLに回した意思の根底には、株価維持のための利益ねん出があったのは揺るがない部分なんだと思う。要するに、テクニックで利益をねん出してもOKというルール運用から、本業頑張りなさいというルール運用に切り替えるための犠牲だったんだろう。本業=製造業的ものを好む社会風土というのが日本にはあるのだろう。GDPに占める第二次産業のシェアが減りつつあるとはいえ、急ぎ過ぎという判断だろう。第一次産業第二次産業の入れ替わりのときも色々と血を見たわけで。

検察庁は捜査、逮捕、起訴までできる、国内唯一の機関なのである。捜査、逮捕、起訴を同時にできるということは、自分たちが捜査した事件は、面子にかけて起訴してしまう可能性が高いということだ。(p.191)

佐藤優氏や田中森一氏など検察と戦った人の著作を読んだことがあるが、検察の問題点を一番わかりやすく書いた一文であるように思う。堀江氏は検察官の独断で善悪が決まる点を問題視しているが、検察はそれほど万能でも無いように思う。国民の意思というか、時代の空気を無視するようなことは検察もできないだろう。良い意味でも悪い意味でも衆愚に取り込まれている。ちょうど、小沢さんの西松建設の問題が出ているが、検察には抗議の電話がかかったらしい。金丸氏を罰金20万で終わらせた以来の批判の嵐とのこと。もし、検察が完全に独断で動くKY組織であったなら、早晩消滅することだろう。