峠 (中巻) (司馬遼太郎)
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/10/25
- メディア: 文庫
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「改革はせっかちにやるな」という点や、「改革することで死ぬ人間は必至に抵抗する」といったことは経営の未来 ゲイリー・ハメルでも何度も触れられていた。21世紀のマネジメント論の中でも異端の部類に入る新規性をもったビジネス書の内容と、幕末の小藩の家老の思考が被るという点は非常に興味深い。また、司馬遼太郎という人の洞察力はやはり恐ろしい。私はビジネス書の内容と被る部分を、ビジネス書以外で発見することが多い。同じ内容でも、小説や哲学書の方が人間の内面から切り込んでいて深い洞察が成されていることが多く、なんというか、ビジネス書ばっかり読んでいたらいかんなと思う。
「改革はせっかちにやるな」
というのが、師の山田方谷の体験から割りだした智恵であった。せっかちにやると旧勢力の抵抗が大きくなり、改革どころかおもわぬ騒動になり、藩に大きな傷を負わせることになる、というのである。【p.19】
おれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。死を飾り、死を意義あらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死の覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみを考える者がえらい」【p.24】
まず胆をうばってから道理を説き、ふたたび相手が首をもたげると別の手でいま一度胆をうばい、最後に酒宴でうちとけさせてしまうというのが、継之助の手であるらしい。【p.33】
人間を動かすものは感情であり、よりそれを濃厚にいえば「情念」なのであろう。【p.126】
なるほど継之助は、真実を求めるために塾を転々とし、諸国を遍歴した。しかしそれは自分の勤勉さ、篤実さ、刻苦勉励的なものによるのかと自問すると、どうやらちがう。どうやら学問よりも旅の気楽さ、その日常からの解放のほうに魅力を感じていたらしい。酒徒が酒を恋うようにそのことは継之助にとっては強烈な欲求だった。怠けたい、ということなのである。【p.157】
「人間はえらそうな顔して手前で生きているつもりだろうが、世の中に生かされているだけの生きものだよ」
「だからうかうか世の中を改革しようと思っちゃ、いけねえということだ。世の中の制度や習慣をうかつに触って弄っては、そこに住む人間が狂うか、死ぬ。人間どもはそうされまいと思って気ちがい沙汰の抵抗をするよ」【p.180】
革命は常に権謀と詐略にみちている。いわば巨大な陰謀であるといえるであろう。【p.236】
自由と権利というものが西洋の先進文明を成り立たせている基礎であり、政治、法律、社会をはじめ、人間のくらしのうえでの小さなことがらにいたるまでの基礎思想であり、さらには人間を人間たらしめている大本であることに、日本人のたれよりも早く気づいたのは福沢諭吉であろう。【p.416】
そこが政治というものの奇怪さであろう。会津藩は幕府からたのまれ、いやいやながらも幕府の京における楯になり、文久以来あれほどにはたらき、京や伏見でさんざんに流血の犠牲をはらってきたというのに、いまでは徳川家からも捨てられようとしている。絶対恭順主義をとっている徳川慶喜としては、ともに上方から逃げかえってきた会津藩がいつまでも江戸にいるということほど不都合なことはない。【p.518】
鳴かず飛ばすが最良というのは、ながい封建政治がうんだ意外にふかい知恵であるかもしれない。かれらは、言う。「天下動揺などといってもおどろくにはあたらない。むかし徳川氏が天下をとったとき諸侯はあらそってその戦勝を祝賀し、その家の封地を保全された。こんど薩摩の島津氏が天下をとるだけのことであり、われらはただそれに従えばよい」【p.520】