峠 (下巻) (司馬遼太郎)

峠(下) (新潮文庫)

峠(下) (新潮文庫)

峠の最終巻。上巻は河合継之助のカッコヨサに惚れ、中間は21世紀の中管理職が抱くような問題意識との共通点に面白みを感じた。そして、下巻は歴史物語として怒涛の展開を素直に楽しみ、感動し、河合継之助の武士として美しい生き様に引き込まれた。名著である。

政治家というものは天下の半ばを動かすだけの声望と権力が必要だ、その声望をつくりあげてはじめて一個の政治家ができあがる【p.28】

その境遇さえ変えれば一国一天下を動かしうる器才であると自分でも自分をおもっているのであろう。【p.28】

陽明学にあっては、事をおこすとき、それが成功するかしないかは第一義ではない。結果がどうかということは問わない。むしろ結果の利益を論ずることはこの学問のもっとも恥じるところなのである。この学問にとって第一義と言うのは、その行為そのものが美しいかどうかだけであり、それだけを考えつめてゆく。【p.120】

革命の原理というべきものであろう。旧勢力の代表者を斃し、その血に染まった犠牲をたかだかと世間にかざすことによってあたらしい時代がきたことを表示するのが革命につきものの生態であり戦略であったが、徳川慶喜が絶対恭順でもってそれから逃げきってしまったため、薩長はふりあげた斧を会津藩にむけるしかなかった。【p.145】

中立はたとえ情勢上不可能であろうとも、日本国でただ一つの例外を、継之助はその全能力をかたむけてつくりあげるつもりであった。【p.188】

本当に救いや妙案などはありはしない。甲案がよいという意見が出ても、他の者が甲案のもつ危険性を衝けばもう崩れてしまうのである。どの案も多分の危険性をもっており、危険性ばかりをあげつらって評定してゆけば評定の席を暗くするのみで溜息ばかりを吐きあう座になってしまう。【p.196】

全軍がひたすらに進み、無我夢中で歩きつづけるという行動をつづけていると、敵に対する恐怖心もうすらぎ、この戦いの意義について疑問や不安をいだくということもすくなくなるという戦場の心理を、とくに山県という歴戦の男は心得ていた。【p.208】

要するに「武士は主君のために存在してる」という素朴な倫理観が、継之助の考え方の基礎の一つになっている。【p.231】

人間、煮つめてみれば立場だけが残るものらしい。わしは若いころ自分の思想のままに働いたが、結局はこの大野右仲は御譜代大名である唐津藩藩士として生死するしか仕方がないのかもしれぬ。【p.247】

人よりも多少ましな才覚はあるらしいが、その才覚を恃む心の方がつよいらしく、ひとを小馬鹿にしたようにして継之助を上座から見おろしている。臆病ではなさそうである。臆病どころかどちらかといえば勇気がありげだが、その勇気は権力をつかんだときにあらわれる型らしく、目もとがひどく癇走っている。【p.263】

陽明の徒は万策尽きたときにすべての方略をすてその精神を詩化しようとするところがある。継之助は詩へ飛躍した。【p.299】

器量が狭い上に自尊心が強すぎたことがこの人物の成長をはばみ、さほどの業績ものこさぬまま明治二十五年に病死している。【p.400】